お嫁に来た時に、知り合いがいない!友達がいない!
ゼロなんですゼロ!
結婚したと同時に義両親と同居だったので1人で寂しいと思うことはなかったのですが、近所に年の近い人も見当たらないし、ご年配の方が多くて仲良くなれそうな人がいなくてどうしょうかと思いました。
この先誰に悩みを相談したり、愚痴を聞いてもらったらいいの?
しかも自営業の家に嫁いだから、自由に外にも出られない。しばらくは地獄の日が続きました。
このままではストレスがたまっておかしくなってしまうんじゃないだろうか?なんて思うことも…
普段出かけられるのは、買い物くらいで他に何の楽しみもない。友達作ってお茶したいな~と思いました。
そんな時、義母が救世主に!
それをきっかけに友達がたくさん出来ました。
ここからは、私が知り合いゼロ、友達ゼロから抜け出した方法をお話したいと思います。
目次
知り合いゼロからのスタート

生まれ育った町を離れ、新婚生活がスタート!
楽しい新婚生活を送るはずだったのに…
その頃、家業がとても忙しく義父と旦那は夜中まで仕事をしていました。休みもほとんどない状態でほぼ義母と二人きりの状態…
知り合いも友達もいない生活に耐えられなくなっていました。
結婚する前は、高校時代の友達や職場の同僚と過ごすことが多かった私!
それなりに楽しく過ごしてきました。
今みたいに携帯電話なんてない時代だったから、通信手段といえば手紙を書くか家の電話か公衆電話を使うかしかありませんでした。その頃はテレホンカード(知らない人もいる?)を常備していました(笑)
家の電話と言っても仕事と共用だったのでなかなか長電話も出来ない状況だったのでそれが苦痛でした。
今なら携帯電話で通話したりメールやライン出来ますけどね~。
そんな便利な物がない時代!そこで、これはもう近場で友達を探すしかないと思いました。
外に出ることから始まる
結婚したと同時に同居だったので旦那の両親の分と4人分の食事を作ることになりました。
自営業なのでお昼は遠くに仕事に行く以外は家で食事を摂っていました。
なので必然的に3食作ることになっていました。
私が作っていたご飯が美味しくなかったのか(まずくはなかったと思うのですが…)
義母の優しさだったのかはわかりませんが、「娘が通っていた料理教室を知っているからそこに通ったらどう?」と言われて外に出たかったこともあり教室に通うことにしました。
家にいても友達なんて出来ません!どんどん外に出て行かないと!
それをきっかけにどんどん友達が増えて行きました。
きっかけを作る
その頃は考えたこともありませんでしたけど、今になってみると「あーあの時ここに行ったからあの人に会えたんだ。」、「これを引き受けなかったらあの人に会えていなかったな。」などと思います。
行動を起してきっかけを作らないと変わらないと私は思います。
- 習い事に通ってみた。
- 母親教室など市からの案内をみて参加してみた。
- 幼稚園や学校の行事に必ず参加してみた。
- 学校の役員をするようにしていた。
とにかく、黙っていても友達は出来ないから積極的に行動に移すようにしていました。
そうすることで一人だっていいんです、友達はできます。
待っているだけでは友達は出来ません!
習い事で友達が出来た

早速、料理教室に電話して空きがあったので習いに行くことにしました。徒歩でも10分くらいで行ける場所だったのもラッキーでした。
夜の教室は独身で働いている人ばかり
最初は夜の教室に行っていました。でも、夜の教室にくるのは独身の人ばかりでなかなか共通の話題がないし教室が終わった後は皆さんまっすぐに帰るので親しくなるのは難しかったです。
晩御飯の支度をしてから教室に通っていたのでそれも大変だなと思って、先生に尋ねたら昼の教室にも空きがあると聞いたのですぐに変えてもらいました。
昼の教室は同時期に結婚した人が多かった
昼の教室には同じ時期に結婚した人たちが多くいて、教室に入った時期も同じくらいだったので徐々に話が出来るようになりました。
その中の一人と家が近いことがわかって、しかも私と同じで義両親と同居だったこともあってすぐに仲良くなりました。
買い物に行くときに電話して少しの時間でしたが、旦那の愚痴や姑の話をして、「大変よね!私達って!」なんて慰めあったりしていました。結婚してから出来た初めての友達でした。
こじんまりとした教室だったのでその人の他に7人いましたが、同時期に結婚した他の4人と教室の帰りにお茶して帰るようになりました。

次の時からは遅くなると言って出かけるようにしました。

ここが同居の面倒くさいところでした。
そんなことにはめげずに、せっかくできた友達なので話をする時間を大切にして、それぞれのお宅に遊びに行ったりして仲良くなりました。
でも、次々と友達が妊娠していって一人、二人とやめていってしまいました。
子供が生まれてからも子供を連れて教室に通ってくる人もいたので教室では話は出来ましたが、帰りの寄り道は出来なくなりました。
中国人の友達も出来た
でも、次々とメンバーは入れ替わり、中国からお嫁に来た人とも仲良くなりました。もちろん会話は日本語です。
今みたいにスマホがあればもっと分かり合えたんでしょうけど、その時は漢字を書いて何とか会話していました。
ご主人は長期で家にいないことが多くて寂しかったようでした。
書類を書いたりするのが大変だったみたいでその手伝いをしたりして仲良くなっていきました。
今はたくさんの中国人が日本を訪れていますが、25年くらい前は今のように簡単に日本に来ることが難しい時代で親が日本に来る時でも書類を出さないと入国ができないと言っていました。
彼女もすぐに教室をやめたのですが、たまに遊びに行ったり、家にも遊びに来てくれて餃子を作ってくれたこともありました。
私は代わりにカレーライスの作り方を教えたりしました。彼女はその頃中国でカレーを食べたことがなかったそうですよ。

本場中国の餃子はとても美味しかったです。それに中国のお茶や調味料や食品なんかをもらったりして嬉しかったです。今は中国製って印象悪いですけどね。
中国語を覚えようと本を買ったけど、インデックスをつけるだけで疲れちゃってちっとも使わないまま今も本棚に眠っています。
ここ何年か会っていませんが、たま~にラインしています。
教室はやめたけれど…
私は結婚して5年でようやく子供が出来て教室を一旦やめましたが、生まれてから4か月くらいで子供も連れて復帰しました。
だんだんと教室にも高齢化が進んで若い人は来なくなっていました。
途中何回か休んでいた時期もありますが、教室が無くなるまでの15年間色々な出会いがありました。
最初に仲良くなった友達もすぐに教室をやめてしまいましたが、彼女は子供が生まれてから引っ越して親と別居することになり、子育ても忙しくなってしまったので疎遠になってしまいました。
ですが、子育てが終わった今、その友達ともう一人の友達とは定期的にランチに行っています。
私にとっては新しい土地で初めて出来たとても大事にしたい友達です。
子供が生まれてママ友が出来た

子供が生まれてからは、子育てのことを誰に相談したらいいのだろうと悩んでいました。母や義母、先に母になった妹もいましたが、やはり同じ月齢で同じ悩みを持ったママさんと仲良くなりたいと思いました。
そんな時、母親教室の案内が保健所の方から届きました。
保健所の母親教室に参加してみた
初めての子育てで何もわからなかったので、とにかく何でも知りたかったので離乳食の講習会やすくすく教室に参加してみました。
すくすく教室は月齢が近いということの他に、住んでいる家が近い子たち8人がグループになっていて2回開催されました。
うちの子が3月生まれでその頃は生後4か月で、他の子は2月~4月生まれの子たちでした。
自己紹介をして、手遊び歌や赤ちゃんの体操なども教えてくれたり悩みを聞いてもらったりしてとても楽しかったのを覚えています。
2回目が終わるときにそのグループで今後も集まることを勧められました。と言うか強制でした。
もちろんみんなハテナマークでした(笑)
すると、代表者を決めて下さいと言われ仕方なくじゃんけんをすることに…
みごと負けて代表者に!!!

え~どうしたらいいの~?代表者ってなにやるの?
でも、グループの人たちみんないい人でした。日にちと場所を決めて一緒に申し込みに行ってくれました。
育児サークル結成
それから1ヵ月後に全員集まってこれからの活動について話し合いをしました。
全員一致で育児サークルを結成することに決まり、とりあえずは月に1回集まることになりました。
サークルは1か月に1回でしたが、家が近い子もいたので公園で会ったり、家に遊びに行ったりして交流を深めて行きました。
サークルと言ってもみんなで悩みを相談しあったりと只々おしゃべりをする場になっていました。
段々と子供も大きくなってきて歩けるようになると、借りていた場所が和室だったので畳が傷むからもう貸せないと断わられることに…

せっかく親も子供たちも仲良くなってきてこのまま解散はしたくなったので必死で場所を探しました。
1か所の児童館が使ってもいいと言ってくれたので今度は週に1回集まることにしました。
ちょうどその児童館にはトランポリンが置いてあって子供たちは楽しかったようでした。
児童館に移ってからは、ただ遊ばせているのはもったいないのでサークルの流れをみんなで考えて親子で楽しめるようにしました。
- 体操
- ゲームや工作(担当の親たちが考える。)
- 絵本の読み聞かせ
- 片付け
2つのグループに分けて交代でゲームや工作などを考えたり、読み聞かせは交代で担当者が自分で選んだ絵本を読んでいました。
児童館での活動だけはなく、時には外にも遊びに行っていました。
海に行ったり、公園でお弁当を食べたり、電車で少し遠出してみたり、クリスマス会で料理を持ち寄ったり、本当に数えきれないくらいの思い出を作ることが出来ました。

3年半くらい続けていたんですけど、親同士のもめごとが一度もなく子供たちも仲良しだったんです。
イチから自分たちで作ったサークルだったので大変なこともありました。でもこのサークルのおかげで育児を乗り越えることができたと言っても過言ではありません。
うちは一人っ子だったのでこのサークルでいろんなことを学べたと思っています。
みんな幼稚園に通うようになって解散はしましたが、夏休み、冬休み、春休みには高校生になるまで集まっていました。
そして、今は年に1~2回親だけで集まっています。今でもみんな仲良しです。
子供の幼稚園や学校でママ友が出来た

サークルの友達はバラバラの幼稚園に入園して、知り合いはいなかったので、またイチから友達さがしが始まりました。
幼稚園には出来るだけ行くようにした
先生との話があるときや、茶話会には必ず出席するようにしました。
私の場合は少しでも外に出たかったので、何かあれば出かけるきっかけになったのでうれしかったですね。
プールの着替えのお手伝いもあったので子供がプールを休まない限りは毎回行っていました。
だいたい来るママさんは決まっていたので段々と話が出来るようになってきて、同じ方面からバスに乗って来ているママさんがいたことがわかり仲良くなりました。
このママさんとはのちに小学校が一緒になることに…
幼稚園入園の時にはじめて携帯電話を持つようになって、メル友もその時に出来ました。(古っ!)
結構みんな懇談会や茶話会に参加していたので、この頃はワーママさんって少なかったような気がしました。
たまに何人かで、プールのお手伝いの帰りにランチに行って情報交換をしたりしていました。

年中の時は、役員なんてとても出来ないと思っていたので下を向いてジッとしていたので免れたんですが、年長になっても免れたと思っていたら、夕方に先生から電話が来てどうしてもとお願いされて仕方なく引き受けることになりました。
市内の幼稚園のPTAが集まって広報誌を作る仕事をすることに…
PTA係は私の他に2人いて2人とも年中のママさんでした。

最初は緊張してなかなか話が出来ませんでしたが段々と話をすることが出来て、他の幼稚園のママさんとも仲良くなって楽しく仕事が出来たので役員を引き受けて良かったと思いました。
幼稚園では親がお手伝いすることが多かったので自然といろんなママさんと話をすることが出来て心配なことや、困ったことを聞いたり、話したりすることが出来ていたので心強かったです。
それに、子供のことが心配だった私は、連絡ノートで先生と良くやりとりをしていました。その流れで卒園してからも文通(今はライン!)していて子供の成長過程の報告をしていました。
子供が高校生になってからは、先生とランチに行くようになりました。
そこから仲の良かったママ友も加わり、今でも年に1~2回は3人でランチに行っています。
学校の懇談会や行事に参加するようにした
小学校に入るとサークルで一緒だった2人の子と幼稚園で一緒だった子がいたので精神的に楽でした。
しかも学年28人しかいなかったので、みんなと6年間同じクラスだったのです。
なので、友達に関してはなんの心配もなかったです。
1年生の時は何となくやれる自信がなかったので役員を引き受けるのはやめました。
ですが、参観日や懇談会、学級の行事、運動会前の草刈りなどマメに学校に行って先生たちと話をして子供の様子も聞くようにしていました。
学校にも慣れてきたので2年生からは役員を引き受けることにして、学級の行事を通してママさん達とも仲良くして情報交換出来ていたので良かったです。
高学年になると仲のよかったママさんたちと夜の茶話会もやっていました(笑)
婦人学級に入ってみた
入学したてのある日の学校からのプリントを見ると、『婦人学級(現在は女性学級)に入りませんか?』の文字が飛び込んで来ました。何となく気になったので友達2人と一緒に入ることにしました。
婦人学級は,婦人の自発的な学習要求に基づき,生活上の課題解決を目指して行われる継続的,集団的な学習の機会である。市町村教育委員会や婦人団体等が,婦人学級,婦人講座,婦人大学,女性セミナー等の名称で,公民館,婦人会館,小学校,集会所,文化会館等を利用して開設している。
引用:文部科学省
婦人学級には先輩ママさんやOG(ご年配者)の方たちが15人ほど在籍していました。
年に6回ほど講座を開くことになっていて学校を借りて講師を招いての勉強会であったり、何かを作ったり、外に出て体験してみたり、自分たちで学ぶことを企画して活動していました。
普段なかなか出来ないことが手軽に体験出来てとても楽しいものでした。
- 市内散策
- 着付け教室とお茶会
- 料理教室
- 和菓子作り
- コーヒー講座
- 羊毛フェルト
- ヨガ
- ボーリング
- しめ縄づくり
- フラワーアレンジメント
これはほんの一例です。

小学校を卒業してOGになって10年経った今もまだ在籍しています。ここでのたくさんの出会いにも感謝です!
私にとっての学びの場なのでこれからも楽しみたいと思っています。
役員をすることで友達が出来た
全員同じ中学校に進んだためママ友は変わらなかったので、高校の話に進みます。
仲の良かった子たちとは頭の出来が違ったので高校は離れてしまいました。
それでも、小学校から一緒だった子の中で仲良くしていたママさんが1人いて、クラスが同じになったので、何となく安心でした。
1年目はやっぱり役員を引き受けるのは気が引けたので学校祭のお手伝いだけ引き受けました。
先輩ママから、PTAのバス研修があると聞いていたので同じクラスになったママさんを誘って行きました。
大学の見学に行ったり、工場見学やランチまであってとても楽しかったので2年生から研修部の役員を引き受けることにしました。
小、中学校の時と違って先生がほとんど動いてくれていたので仕事はとても楽でした。しかも、研修部だけ会議の時にはいつもお菓子も出たので行くのが楽しみでした。
何よりも良かったのは全然知らない人ばかりだし、子供との関わりもなかったので気を使うこともなく楽でしたね。
会議やバス研修や学校祭などの手伝いで役員のママさん達とも仲良くなって行ったので本当に楽しい2年間でした。おまけに研修部担当の先生が進路指導の先生だったため子供の進路についても相談することが出来てラッキーでした。
高校で友達なんて出来ないだろうと思っていたのですが、1学年下のママさんとすっかり仲良くなって夜、飲みに行く約束をしました。なんだかずっと昔から知り合いだったような気がして、すぐに打ち解けられたことが不思議でした。
そのママさんは自分の過去の辛かった出来事さえも笑いに変えて話をしてくれる人でした。
自分だけが辛い思いをしているわけじゃないと、すごく気持ちが楽になった気がして、私は久しぶりに思いっきり笑ったような気がしていました。
その時の私は同居している義両親への不満や愚痴ばかりを言っていたような気がします。だんだん2人の介護の負担が大きくなって来ていて、この先の不安でいっぱいだったんだと思います。
だから、最初の頃は「この人大丈夫かな?」「やばい人かも!」と思われていたようです。

それでも黙って話を聞いてくれていたのでありがたかったです。
最初の頃はなかなか夜に出かけることは難しかったので3か月に1回くらいしか飲み会は出来ませんでしたがこの日のために頑張ろうと思っていました。
両親の自宅介護が終わってからは、飲み会の回数も増えてきました。最初は2人だけの飲み会でしたがそのうちに同じ役員だった人が1人、2人と増え今では5人で毎月飲み会をしています。
一時期は愚痴や不満ばかりをみんなに聞いてもらっていたけれど、今の私はとても幸せだし、充実した生活を送れているので聞き役に徹しています。

勇気を出して一歩踏み出せばきっといい出会いがありますよ。
学校が終わったと思ったら今度は町内会の役員になっちゃいました。そこから新たな出会いが待っているかもしれないので楽しみにしたいと思います。
さいごに
知らない土地で友達がいなかった私に、たくさんのお友達が出来ました。
自分で行動を起こすことできっかけを作ることが出来ていろんな人との出会いがありました。
旦那の愚痴や義両親のことを聞いてもらったり、子育てで悩んだときにも、たくさんの人に助けてもらいました。
友達がほしいと思ったら自分から動いてみましょう。
きっと大切な友達ができるはずです。
突然ですが
今、おしゃれできていますか?
私は子供が生まれてからというもの、まったくおしゃれができなくなりました。
子育てが忙しく毎日、同じ洋服を着て出社をしていました。そんなある日、職場の若い女の子に
「毎日同じ洋服で楽そうですね、でも私はそこまで女を捨てられません」
なんて言われる始末。子育てが忙しいからおしゃれなんて無理…そう思っていました。
しかし!
ものすごい簡単におしゃれができてしまう方法があったんです!
この方法ならお金も節約できるし、おしゃれも楽しめるし一石二鳥、いやそれ以上です。私はこの方法に出会ったおかげで毎日おしゃれを楽しんでいます。
職場でも「おしゃれですね!」って言われて最高に嬉しいです。
あまりに楽しくて時間を忘れて話をしていたら夕方になっていて慌てて帰りました。そして帰ったと同時に義両親に怒られることに…
連絡もしていなかったので何かあったんじゃないかと心配したみたいです。