子供は1人で十分?我が家の事情と子育てで考えたこととは!

子供が1人ってどう思いますか?

一人っ子はかわいそうとか、わがままになるとか言われますが本当にそうなのでしょうか?

周りから2人目は?と聞かれると、もう一人は産まないとダメなのかな…?と思ったことありませんでしたか?

いろいろな見方があるのもわかります。

でも、それぞれの事情もありますよね。

金銭的な事情もあるのかもしれないし、子供がそれほど好きではないとか、欲しくても2人目ができない場合だってあります。

私自身も本当に1人でいいのかと悩んだ時期もありました。

親からの目線で書いていますので子供の本心とは違うかもしれませんが、こんな考えもあるのだと参考にしていただけたらと思います。

子供が1人で十分?もっと適切な言葉が…

私は33歳で子供を産みました。結婚して5年ようやく授かった子です。

長野オリンピックの年に生まれた

ちょうど長野オリンピックの時に臨月の大きなお腹を抱えていました。

まさに、ジャンプの決勝で原田選手が2回目のジャンプを飛ぼうとしていた時に病院でTVを見たのを覚えています。

義父が迎えに来たので帰らないといけなくて「あ~せっかくいい所なのに…!」と後ろ髪を引かれる思いで家に帰りました。

吹雪で試合が中断していて丁度試合が再開するところで、リアルタイムで見る事が出来てラッキーだったのでその日の事は鮮明に覚えているのです。

団体金メダル!感動しました!

そんな話はどうでもいいですね。

子供が1人でも授かって良かった

さっそく結論から書かせてもらいますと、子供は1人で十分なのか?

十分という言葉は適切ではありません

私は子供が1人授かっただけでも有難かったと言いたいです。

子供が欲しくても出来ない人だっています。
もしかしたら、私も子供のいない生活を送っていたかもしれません。

かおり

出産は命を懸けた人生最大のイベントですよね。ですから、1人でも産めたことが本当に有難いことだったなと思います。

おかげで、いろんな感動を与えてもらったし、親として、人間として成長させてもらっています。

ただ、親の老後や死後の事を思うと一人っ子だと自分一人で背負って行かないとならないのでそれだけが気がかりなところではありますが。

幸せな結婚をしてくれることを望むばかりです。

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子供が1人もいなかったかもしれない

私は、結婚する前は子供は2人は欲しいなと思っていました。

自分も3人兄妹だったので1人はかわいそうだと思ったからです。

でも、現実はそうはいきませんでした。

子宮頸ガンが見つかった

子供が生まれる2年前に、実は妊娠して流産していました。

何日か前から出血していたので、点滴を受けてから家に帰ったのですが、明け方に突然下腹部が痛くなり、目が覚めたのです。

痛みが強くなってきたけど明け方だし、当時仕事が忙しかったので夫を起こすのもためらい、「どうしよう。どうしよう。」と思いつつも我慢してたんですよね。

しばらく激痛が続き、もうこれはやっぱりおかしいと思って夫を起こそうとして起き上がろうとした時、

我慢できないくらいの激痛とともに突然の出血が…

痛い。」

その瞬間にその子の命は無くなってしまったのです。
まだ2か月だったので本当に小さな小さな袋に包まれていました。

そして、朝になり病院へ連れて行きました。

診察では、お腹の中には残っていないので処置はいらないからこのままでいいと言われたのです。

その対応に疑問を持ったのでなんとなく主治医を信用できなくなりました

流産という現実を受け入れられないうちに、更に追い打ちをかけるように「前回の検査でガンの疑いがでました。」といわれて二重のショックを受けることに…

ますます、もうこの病院には来たくないと思い、友達に相談すると女医さんのいる病院があることを知りました。

後日、その病院に行って診察とガン検診を再度してもらうことにしたのです。

診察の結果は、「お腹の中は綺麗だから大丈夫ですよ。」と言われたのでまずは安心しました。

その1週間後に結果を聞きに行くと「残念ながら子宮頸ガンですね。」「ただ、上皮内ガンだったので悪い所だけ切れば心配ないですよ。」と言われて、

「あー子宮は残るんだ。子供はまたできるかもしれない。」と夫と喜びました。

かおり

このころは、なんですぐに病院に連絡しなかったのかと自分を責めたりして精神的にきつかったです。

産んであげられなかったことがとても辛かったです。

同時に夫や、義両親、両親にも申し訳ないことをしてしまったとしばらくは何もする気が起きなかったのを覚えています。

でも、妊娠していなかったら、ガンにも気づかず、子宮もなくなり、もしかしたら命も無くなることだってあったかもしれません。

もしかしたら病気を教えてくれるために私のところに来てくれたのではないかと思いその子に感謝しました。

1か月後に手術を受けることに

それから1か月後に円錐切除の手術を受けました。

【円錐切除術とは

子宮頸部の一部を円錐状に切除します(図5)。高度異形成に対しては、病巣を完全に取りきる治療として行います。画像の検査でわからないような早期がんの場合には、顕微鏡でがんの広がりを正確に調べる目的で円錐切除術を行い、がんの広がりに応じた適切な手術の方法を決めます。

引用:国立がん研究センター

私はお腹を切らなかったのですが、手術した日の晩は下半身麻酔だったため動けずに腰の痛みに苦しみました。

でも次の日の朝にはもうご飯を食べることができたんですね。

その頃はまだ古い病院で、カーテンがかかっているだけの回復室に入っていて、

他の患者さんが病室の前を通った時に、「もう座ってご飯食べてる、すごいね!」という声もまる聞こえでした。

かおり

きっとお腹を切られたのに痛くないんだ、すごいなと思われていたんでしょうね(笑)

同じ日に手術して回復室で一緒だった人は子宮筋腫でお腹を切っていたので術後はとても辛そうでした。

同じ病室の人達とも仲良くなったので、散歩がてらコーヒーを飲みに行ったり、いろいろな話で盛り上がって笑わせてもらったりして少し気持ちも落ち着いてきました

私はお腹を切っていなかったのでいくら笑っても大丈夫でしたが他の二人はお腹が痛いようで辛そうでしたね。

入院中は身体的にあまり辛いことがなかったので家事をしなくてもいいしちょっと楽させてもらったなと思いました。

これも「ゆっくり休みなさい!」のご褒美だったのかもしれません。

再び妊娠することができて十分しあわせ

手術から、一年経たずに妊娠していることに気づきました。

再び妊娠できたことは十分にしあわせだったのですが、このときはまた流産してしまったらどうしようと考えてしまい素直に喜べなかったことを覚えています。

やはり、出血があり、心配しましたが先生から大丈夫と言ってもらっていたので、ようやく安定期に入った時に安心することができました

かおり
お腹を蹴られたときは感動しました!

しかし、安心したのもつかの間そこからは、耳鳴りが続いたり、顔半分がマヒして動かなくなったり、正月に親戚が集まるので無理してご接待をして腰を痛めたりして過酷な妊婦生活を送ることに…

妊婦さんは本当に大変ですよね。

帝王切開と言われ入院が決まっていた

出産間近になり、予定日に検診に行ってこのまま陣痛が来なければ、帝王切開と言われて入院日も決まっていました

それが入院する3日前に陣痛が来たので、病院に電話をすると、入院が決まっていたからかすぐに来てくださいと言われました。

荷物の用意もできていたのですぐに義父に送ってもらい病院へ。3月の中旬なのに吹雪で風が強かったのを覚えています。

その後、義母が来てくれました。

ここで、分娩室に入る前のエピソードというか、イライラした義母と夫の行動についてお話します。

義母が私のお茶を…

入院した時間が夕方で、夕食が出た時のこと。

自分の茶碗は荷物の中で出せていなかったので紙コップで「お茶どうぞ!」と助手さんがテーブルの上に置いてくれました。

するとそこにいた義母が「あらーすみませんねー。」と言って飲み始めました。

「えっ!それ私のじゃ?」と思いましたが、すでに飲んでいたので仕方ないなとあきらめました。

その後、ご飯が運ばれてきたので私の分ももらいましたけどね(笑)

自分中心の方なので仕方ないですけど、もっと気遣ってほしかったです。

陣痛がきていたので食べるのが大変でしたが食べろ食べろとうるさく言われてイライラしましたね。

続いてはいまだに許せない夫の行動があります。

仕事を終えて義父と入れ替わりで病院にきた夫でしたが、

背中を撫でながらあんパンを…

いよいよ陣痛の間隔も短くなってきて 痛みに耐えられなくなってきていました

義母に背中をさすってあげなさいと言われ、さすってくれていましたが本当に気持ちが入っているのかと思い振り返ると、大きな口を開けてあんパンを食べている夫がいました。

仕事が終わって確かにお腹はすいていたのかもしれませんが、こっちは痛みに必死に耐えているのになんだよと思いましたね。

しかも背中のさすり方が適当で「痛いんだから触るな!」とイライラしました。

そのうちに分娩室に入ることになり、夫と義母は22時になったら病院から出て下さいと言われていたんですね

それが3分前に産まれてギリギリ間に合って赤ちゃんとご対面ができたという奇跡!

産声を聞かせてあげることできて良かったなと思いました。

しかも、次の日に産まれたら祝日で料金も高くなるところだったという奇跡!

そして、何よりも娘が無事に産まれてくれたことに感謝でした。

後から主治医に、手術したことで子宮の入り口が薄くなっていたので自然分娩ができたと聞きました。

かおり
無事に生まれてくれてひと安心でしたが、またここからが大変でした。

私が出産した病院は古く、婦人科の患者さんも同じ病棟にいたので夜の間は母子別々で、昼間だけ赤ちゃんと一緒に過ごし、夜は授乳に新生児室へ行くことになっていました。

産後5日目に産褥熱で母乳ストップ!

母乳を飲ませてから、3回目くらいで発熱

夜の授乳に行ったときに、「どうしたの?顔が腫れてるよ。」と看護婦さん(20年以上昔の話なので)に言われ、鏡を見るとそこには「あなた誰?」と思うほどパンパンに腫れた私の顔が…

驚きました!

出産時どれだけいきんだのか。その晩から40℃近い熱が出て、座薬の解熱剤を使うことに

使った抗生剤にアレルギー反応も出て発疹も出るという事態に。

産褥熱とは、お産のあと、24時間以降、産褥10日以内に2日間以上、38度以上の発熱が続く場合とされています。主に子宮内膜炎が原因となりますが、感染の原因や経路が不明な場合も多いといわれています。

引用:メディカルノート

結果、母乳はストップでした。

2日ほど寝込み赤ちゃんのお世話も出来ずにいて、復活した時には母乳を飲んでくれなくなってしまいました

かおり
せっかく母となった喜びを感じていたのに…

5日で家に帰れるはずが10日間の入院になってしまいました。

出産後は実家の母が来てくれていたのですが、退院する前の日に祖父が亡くなり、帰ることに…

心細いまま家に戻りました。

義母は足が悪くて子守はできず、洗濯とご飯支度だけで精一杯、夫や義父が色々手伝ってくれましたが、手伝ってもらえることは限られています

母が葬儀を終えて初七日を済ませてから家に来てくれるまでは本当に辛かったです。

子供1人に十分な愛情を!【祖父母との暮らし】

初めての子育てに戸惑いながらも育児書片手に日々頑張っていました。それでも1人じゃなかったので耐えられたのだと思います。

初めての子育て

最初の2か月くらいは夜泣きもするし、ミルクもなかなか飲んでくれないしで苦労しました。

でも、その後は朝までぐっすり寝てくれるし昼間は義母がゆりかご(古い?)を揺らしてくれたり義父もできることは手伝ってくれるおかげでそれほど大変だったという記憶はないです。

もちろん夫も夜や休日は面倒を見てくれました。

ちょっとの間なら見てもらって買い物にも行けましたから気分転換もできていました

このように誰かがいてくれて1人になることも少なかったので有難かったのです。

私は子育てしている間、ひどく子供に怒鳴ったり、八つ当たりしたことはなかったと思います。

かおり
娘は大人しく、外にいても常に私の近くにいるし、怒られるようなこともしませんでした。

それがいいとは思いませんが同居していた私にとっては精神的に助かっていました

義理母との育児の仕方の違いや子育てに対する口出しもありましたからもしもわがまま放題の子供だったら平常心で世話などできなかったでしょう。

かおり

娘は、社会人になった今が一番わがままになっているかもしれません(笑)

我慢させていたこともたくさんありますから祖父母がいなくなった今、発散させているのではないでしょうか。

祖父母との暮らし 

同居は悪いことばかりではありません。

出産後も夫の両親と暮らしていたので孤独感や寂しさは感じたことはありませんでした。

たまに一人で居たいときはもちろんありましたが。

祖父母との生活で一人っ子の子供に良かったこと
  • 1人になることがなく誰かが必ず家に居たので寂しくなかった。(と思う。)
  • 何をするのも祖父母を優先に考えることができた。(お菓子は祖父母から先に取る)
  • 体の不自由な祖母に手を貸してあげることで優しさが芽生えた。
  • 1人なのである程度好きなものは買ってもらえていた。

娘が高校生になるころには義理母も手を引いてあげないと外を歩けなかったり、車いすに乗るようになったときも押してあげたりと自然に介護を学んで行きました。

娘は歯科衛生士として働き、高齢者の患者さんと関わることになりその経験が生かされているように感じます。

子供が1人でも十分と思うけれど

私が子供は一人でいいと思った理由に義母との生活にもありました。

義母との生活で考えたこと

私は、結婚当初から義両親と同居していました。

自分がまずはその生活に慣れて行かなければならないので、子供はまだいいかなと思っていました。

義母はくも膜下出血の後遺症で足が悪かったのですが、その頃は自分で歩いて病院や買い物などは行けていました。

私がそれほど手伝うこともなく、一階の掃除や、洗濯やトイレ掃除などはやってくれていたので家事の負担はまだ少なかったです。

洗濯物も屋根裏に干し場があったので、洗濯物をカゴに入れて階段を上がって干しに行っていたのでそれがリハビリになっていたのではないかと思います。

それが、結婚してから3年後に家を新築して一階が工場で二階が住宅になったことで階段も使わない生活になり、年を取るごとに足も悪くなってきていました

ちょうど私が手術をしたときには家の新築工事が始まっていて、その4か月後に引っ越しをしました。

それから半年くらいで妊娠に気づきました。

新築の家に住み始めて、それまでは、杖を使わずに外を歩けていたのに段々と足の運びが悪くなってきて、最初は嫌がっていましたが諦めて杖を買うことに。

それでも私が手伝うことはまだなかったので安心して妊婦生活を送ることができていました

2人目は無理かもしれない

2人目を考えたこともありましたが、夫が私の体の事も思ったのか1人でもいいよと言ってくれていました。

迷っている間に高齢出産のリスクも出てきたので諦めることに

娘が4歳のときに義母が2度目のくも膜下出血で倒れました

手術して家に帰ることはできましたが少しづつ体力は落ちて行きましたね。

ここから介護も入ってくるだろうなと覚悟したので、完璧に2人目は無理だと思いました。

後継ぎを産めなかった

家は、自営業だし、跡継ぎを産めなかったことはとても申し訳なかったなと思っています。

いまどき、お婿さんに来てくれる人もいないだろうし。

夫はいつも仲間外れにされるので男の子欲しかったな~と言います。

無理だったのかもしれないけどやっぱり男の子がいたらと思うこともあります。

子育てが終わって、「もっとこうすればよかったな。」「子育て失敗したかも。」と思うことばかりです。

でも文句も言わず(いや、言ってるか(笑))仕事に行っている成長した娘を見ると生まれて来てくれてありがとうと思います

さいごに

家は一人っ子ですが祖父、祖母と暮らしていたし常に誰かがそばにいてくれたおかげで寂しい思いをしたことはないと思います。

これはあくまでも親の目線ですが。

今、娘に聞いたらやはり1人は寂しかったといいました。しかもお姉ちゃんがほしかったと。

妹や弟はいらなかったそうなので絶対に無理だったでしょう(笑)

そういえば3歳くらいに聞いた時もこう言っていました。

一人っ子だからかわいそうとかわがままになるとか言われたりするかもしれません。

それでも1人でも子育てさせてもらえたことに感謝したいと思います。

突然ですが

今、おしゃれできていますか?

私は子供が生まれてからというもの、まったくおしゃれができなくなりました。
子育てが忙しく毎日、同じ洋服を着て出社をしていました。

そんなある日、職場の若い女の子に
「毎日同じ洋服で楽そうですね、でも私はそこまで女を捨てられません」
なんて言われる始末。

子育てが忙しいからおしゃれなんて無理そう思っていました。

しかし!

ものすごい簡単におしゃれができてしまう方法があったんです!
この方法ならお金も節約できるし、おしゃれも楽しめるし一石二鳥、いやそれ以上です。

私はこの方法に出会ったおかげで毎日おしゃれを楽しんでいます。
職場でも「おしゃれですね!」って言われて最高に嬉しいです。

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